キリストを主と告白する

2月11日(火) ダニエル3章1-30節

わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ダニエル3章18節

 国家と宗教との関係が最も深刻なものとなる、あるいは最も緊張をはらむのは、おそらく国家が宗教を政治のために利用しようとする場合です。歴史の中で、国家や為政者はしばしば神を政治の場に持ち出そうとしてきました。神の名は聖にして絶対であるゆえに、神の名を持ち出すなら為政者は自身の政治を(それがいかなるものであっても)絶対化し、正当化することができるからです。

 聖書にも、そうした例があります。ダニエル書3章で、バビロン王ネブカドネツァルは自分を偶像に仕立てて礼拝を強制しました。日本においてこのことが問われたのは、いわゆる神社問題です。すなわち明治維新から敗戦まで続いた近代天皇制下における国家神道体制と、そこで説かれた神社非宗教の論理においてです。戦後も、この問題は靖国神社問題としてなお問われ続けています。

 私たちの生きることと死ぬことの意味を定めることがおできになるのは、主なるキリストのみであって、国家ではありません。国家が人の生き死ににかかわる領域にまで乱暴に踏み込んでいくのは許されないことです。この国の精神風土、宗教土壌のただ中で、キリスト告白をつらぬいていく霊のたたかいを共に担っていきたいのです。

 【祈り】 キリストを主と仰ぐ信仰に生き抜いていくことができるよう、私たちを守り、助けてください。

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