主が定める場所での礼拝の喜び

1月28日(火)申命記12章

あなたたちの神、主の御前で、息子、娘、男女の奴隷、町の中に住むレビ人と共に、喜び祝いなさい。レビ人には嗣業の割り当てがないからである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 申命記 12章12節

モーセが繰り返し命じているのは、カナンの地に入った後で、その地に住む人びとの礼拝のやり方を真似てはならないということです。具体的には、それぞれが住む場所ではなく、「主がその名を置くために」選ばれる場所でのみ礼拝することです。

これまで一度たりとも十二部族がバラバラに住むことを経験したことがなかったイスラエルにとって、それぞれが勝手に礼拝をすることは、民としての秩序のみならず神に対する信仰さえも自分勝手なものとなる危険性を秘めていました。

むしろ、主が定められる所に皆が集まって、主が定められたとおりの献げ物を献げ、主に仕えるべく定められたレビ人たちを養いつつ、家族と共に主の御前で喜ぶという、これまでどおりの礼拝の喜びを味わうこと。それが、神の民にとって最も健全な在り方を維持するために必要なことだからなのでしょう。

大切なのは、この〝健全な喜び〟ということです。人間の魂にとって、変わることのない健全な喜びを味わうことこそが、神の民として健全に生きる生活の根源となるからです。

その喜びを味わうために、距離をいとわず礼拝に集う民。それこそが、真の神の民のあるべき姿ではないでしょうか。

【祈り】 神様、いつもの場所で、いつものように皆で守る礼拝の喜びが、私たちの生活の中心になりますように。

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