1月24日(金)ヘブライ5章
キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヘブライ人への手紙 5章8節
キリスト者に絶えず問われていることは、御言葉に聞き従って生きているかどうかです。このことを確かめようとすれば、私たちは御言葉に改めて聞くほかありません。なぜなら、自分の経験則や世の中の価値観では、誰一人として、御言葉に聞き従っているかどうかを正しく判定できないからです。
旧約の時代、主に任命された祭司に求められたことも、御言葉に聞き従うことでした。それは、幕屋や神殿において、祭壇にいけにえを規定どおりにささげることよりも大切な原則です(サム上15章22節)。
「もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエス」(4章14節)は、「御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれ」たお方です。従順を学ぶとは、御言葉に聞き従うことを日常的に習得された、ということです。十字架の上に、罪を取り去るただ一つのいけにえとして御自身をささげられたお方(9章26節)は、これほどまでに謙遜と従順の道を進まれたお方です。
主イエス・キリストは、「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、…安らぎを得られる」(マタ11章29節)と命じ、約束されました。御子の従順を私たちの従順とするとき、永遠の安息を仰ぎ見るのです。
【祈り】 主よ、この世のただ中で、御言葉に聞き従うことを学ばせてください。