1月21日(火)ヘブライ2章
事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヘブライ人への手紙 2章11節
ヘブライ人への手紙が書かれた背景の一つに、天使礼拝があります。天使が御子にまさることは、現代を生きる教会からすれば、あり得ないことに見えるかもしれません。しかしながら、天使礼拝とは言わずとも、父と子と聖霊なる三位一体の神、御子を正しく礼拝することを妨げる偽りの教えは、今の世の中でも、さまざまなかたちで教会の中に入り込んできて、霊と真理による礼拝を脅かすのです。このような霊的危険を覚えて、「これほど大きな救いに対してむとんちゃくでいて、どうして罰を逃れることができましょう」と、御子による救いの完全さを真剣に心に留めるように、強く奨励するのです。
「事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ている」とは、御子と御子によって罪を清められた者たちが、「一つの源」に由来することを明らかにします。「一つの源」とは、神と堕落した人間(アダム)です。御子が、罪をほかにしてはまことの人間となられたゆえに、主イエスと聖なる者たちは、兄弟とされました。そして、イエス・キリストが十字架の上で負われた恥辱が私たちの罪と汚れのゆえであったことを信じ、「ここに、わたしと、神がわたしに与えてくださった子らがいます」と、御子が認証された聖なる礼拝を共にします。
【祈り】 神よ、御子の負われた恥辱が何のためであったか悟らせてください。