1月15日(水)申命記8章
人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 申命記 8章3節
モーセは、40年にわたる苦しみの日々を思い起こすようにと、繰り返し諭します。それは、試練の年月であり、それを通して人びとの心の中にあることが明らかになるためです。そのようにして人間の知恵も力も尽きる中で、ただ神を信頼すること、人は神の言葉によってのみ生きるとの真理を悟るためでした。
神がその民に試練をお与えになるのはご自分の子らを鍛えるためです。苦しみを与えること自体が目的ではありません。苦しみによって試みられ、ついには幸福にすることが目的です。ですから、苦労もせずに与えられた幸福や富は、祝福であると同時に誘惑となりかねません。事実、約束の地は豊かな土地でしたが、それが誘惑となり、やがてイスラエルは思い上がってその富と共に滅びていくことになりました。
人は誰しも豊かな生活を望むものです。それは、失われた楽園を求める人間の性なのかもしれません。しかし、「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」のです(マタ6章21節)。人は「神と富とに仕えること」はできません(同24節)。
人生の苦しみの中で練り清められて、「人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」との確信に至る人は幸いです。
【祈り】 神様、あなたを忘れるほどに豊かにも、盗みを働くほど貧しくもせず、守ってください(箴言30章8節)。