フィリピ1-2章 生きることはキリスト死ぬことも益
わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。(フィリピ1:21)
「喜びの手紙」とも呼ばれるフィリピの信徒への手紙は、パウロがどのような状況でもイエス・キリストによって喜ぶことができることを教えています。パウロ自身、まわりの状態や環境、置かれた状況に縛られずに、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝することができる人でした。
パウロが、どのような状況でもいつも喜ぶことができた秘訣は、「どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています」というパウロの人生観によるものです(20節)。
それは、人生を自分のために生きようとするのではなく、キリストのために生きようと願うことでした。
自分の死さえも、それによってキリストがあがめられるなら、「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」と言うことができたのです。
人生を振り返ったときに、一日でも、自分のためではなく、キリストのために過ごしたと言える日があったとしたら、それは何とうれしいことでしょう。きょうの私たちの歩みも、キリストのために過ごしたと言える一日となりますように。
【祈り】 きょうの歩みが、キリストのために過ごせたと言える歩みとなりますように。