箴言4-9章 わたしは幸いを説いている
子らよ、父の諭しを聞け
分別をわきまえるために、耳を傾けよ。
わたしは幸いを説いているのだ。
わたしの教えを捨ててはならない。(箴言4:1-2)
新共同訳聖書はここに「父の諭し」という見出しをつけています。父親に限らず、親としてあるいは大人として子どもたちに諭しを与えるのは簡単ではありません。自分の内に確かな人生観や世界観がなければ、どうして子どもたちにこの世や人生について教えられるでしょうか。
この語り手は、自分も父親から、戒めを守り、知恵と分別を得るように教えられてきたので、それを踏まえて、子どもたちのために熱心に語ります。語ることができるのは、「幸い」とはそもそも何であるかを主のもとで教えられてきたからでした。
子どもたちは、いろいろと戒められて、時にはうるさく思うかもしれません。しかし、語る方は、主にあるまことの幸いを知っているので何度でも語るのです。財産を得ることでも、この世を上手に渡っていくことでも、名声を得ることでもなく、主にある命を得ることがまことの幸いだと知っているからです(4節)。
まことの幸いは、神に従う道にあります。さまざまな声が飛び交うこの世にあって、主からの教えの言葉を見失わないようにと、箴言は繰り返し私たちに懇ろに語りかけています。私たちがまことの幸いに至るために。
【祈り】 主イエスの後に従って、まことの幸いに至る道を歩き通すことができますように導いてください。