1コリント4章 私たちは王なのか
あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。(1コリント4:8)
ナポレオン・ボナパルトは、「わたしの辞書には不可能という文字はない」と語気を強めました。はたして真実でしょうか。これは、私たち人間を、神とし「王」とする考え方ではないかと思います。
はたして人に不可能なことはないのでしょうか。人は、食卓に提供される1杯の飲み水も、みずみずしいレタスの一葉も、自ら作り出すことはできません。人には、不可能なことがあり、いや、不可能なことで満ち溢れているのです。
そのように不可能なことで満ち溢れている私たちが、どうしてきょうを生きることができるのでしょう。それは、私たちには、不可能を可能にしてくださる「王」がおられるからです。人に命を与え、あらゆる英知を与え、必要な力を与え、慈しみを注いでくださるまことの王がおられるのです。
なぜ私たちは、貧しく、弱くても大丈夫なのでしょう。それは今日、私たちが王の「街の中」で生かされているからです。まことの王であるお方が、どこにいるときにも私たちを守り、養ってくださっているからなのです。
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