2コリント8章 一つの体である教会共同体
「多く集めた者も、余ることはなく、
わずかしか集めなかった者も、
不足することはなかった」
と書いてあるとおりです。(2コリント8:15)
コリントの信徒たちは困難に直面しているエルサレム教会を援助するために、一年前から献金を集めていました。マケドニア州の諸教会はこの話をパウロから聞いて心から感動し、コリント教会よりももっと貧しい内にありながらも自ら進んで豊かな献金を捧げたのです。
貧しさの中にあっても献金ができたのは、全ての教会共同体が全く公平である一つの体であるからだとパウロは考えています(15節)。
すべての教会が主イエスに繋がれていて、主イエスは罪人のために貧しくなられ、それによって罪人のすべての罪がゆるされ、神の子として豊かな者になった、その恵みを皆が同等に体験しているとパウロは強調しています(9節)。
わたしの働いている教会は多くを他の教会からの祈りと献金によって支えられています。教会が一つの体であることを日々強く感じさせられています。このような貧しさの中にあっても、私たちの教会が他の教会のために少しでも豊かな献金を捧げ、主イエスの恵みをより多く体験できることを願っています。
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