黙示録3章 眠たいのではなく、死んでいる
「わたしはあなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。…だから、どのように受け、また聞いたか思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ。もし、目を覚ましていないなら、わたしは盗人のように行くであろう。」(黙示録3:1-3)
「もし、目を覚ましていないなら、わたしは盗人のように行くであろう」(3節)。主の言葉は、霊的に眠っているサルディスの教会への、目を覚ますようにとの厳しい警告です。
サルディスの教会は、眠っているような信仰生活をしているという自覚はあったのでしょうか。この聖書箇所を読んで、ふと、源平合戦の鵯越の逆落としという故事を思い起こしました。後ろは崖、前は海という天然の要害に平氏は安心し、その結果、防備がおろそかになったのです。自分たちは大丈夫という安心感が、気づかぬうちに、霊的な眠りへと誘っていたのではないでしょうか。
主は、さらに「生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」とまで語られます。緊張感を失った形式的な信仰、真実を欠いた表面的従順は、眠った信仰ではなく、死んだ信仰です。私たちは、ただ眠たいだけで生きていると思っていますが、「行いを知って」おられる主の御前では、死臭が行いから漂っているのでしょう。
自分の現状をここまで深刻に受けとめてこそ、目が覚めます。そのなかで、悔い改めに招かれていきます。
コントローラ