第85問 救いの恵みを受けるための義務
問: 罪のため私たちに当然な神の怒りとのろいとを免れるために、神は、私たちに何を求めておられますか。
答: 罪のため私たちに当然な神の怒りとのろいとを免れるために、神が私たちに求めておられる事は、キリストがあがないの祝福を私たちに伝えるのに用いられるすべての外的手段を、忠実に用いて、イエス・キリストを信じ、命に至る悔い改めをすることです。
問85〜107は小教理の最後の部分で、私たちが救いの恵みを受けるためにすべきこと(信仰的義務)について教えています。義務篇(問39〜107)全体の概要は次の通りです。
(1) 人間は道徳的に生きる義務を神に対して負っています(問40)。
(2) その道徳の要約である十戒は、神と人への愛を基本として、私たちに正しく生きる道を示しています(問41〜問81)。
(3) この十戒に照らす時、私たちは、これを十分に満たす事の出来ない罪人です(問82)。
(4) 罪には軽重がありますが、どの罪も神の永遠のさばきに値します(問83,84)。
(5) この永遠のさばきから逃れて、救いの恵みを受けるために、神は特別の道(信仰的義務)を備えて下さいました(問85〜問107)。
問85は、信仰的義務についての総論です。各論は問86〜107で教えられます。
救いの恵みを受けるために必要なことは二つです。
(1) イエス・キリストを信じること(詳しくは問86で扱います)。
(2) 命に至る悔い改めをすること(詳しくは問87で扱います)。
この信仰と悔い改めの生涯を全うするために、神様は、私たちの信仰と悔い改めが生き生きと保たれるように「恵みの手段」を備えて下さいました(問88で扱います)。
代表的な恵みの手段は三つです。
(1) 聖書に聞くこと(問89,90で扱います)。
(2) 礼典(洗礼式と聖餐式=問91〜97で扱います)。
(3) 祈り(問98〜107で扱います)。
クリスチャンは、教会での生活と日々の生活で、聖書を読み、洗礼式と聖餐式を受け、祈りつつ過ごしますが、それは形式的なお勤めではありません。大切なのは信仰と悔い改めです。信仰と悔い改めが日々新たにされることを求めて、これらの手段を用いるのです。
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