ウエストミンスター小教理問答の学び 第82問

第82問 律法を守れない人間

問: 神の戒めを完全に守れる人が、だれかいますか。

答: ただの人は、堕落以来、この世では、だれも神の戒めを完全には守れず、日ごとに思いと言葉と行ないにおいて破っています。


神が人に求められる第二の義務


 神に対する人の義務の第一は、道徳律法を守る事でした(問40)。その道徳律法は、十戒の内に要約されていました(問41)。その十戒の内容は問42-81に解説されていました。
 問82-84は、道徳的義務(40-81)とは別の第二の義務(信仰生活=問85-107で解説)の必要を教えています。道徳律法を完全に守れるならそれだけで十分ですが、人は道徳律法を完全に守れないので、罪赦されて生きるために、信仰生活をする必要があるのです。

律法を完全に守れない人間


 十戒を完全に守れる人がいないことは、思いと言葉と行ないの三つから、明らかです。
(1) 思い: 言葉に出さなくても、私たちの心には、怒り・妬み・軽蔑・冷淡など、正しくない思いが湧いて来ます。心の清さを求める神の律法を、人は完全に守ることができません。

(2) 言葉: 不敬虔な言葉、悪口、皮肉、嘘などで、人は神に背き、他人を傷つけています。

(3) 行ない: 私たちの行動も、神と人への愛を求める律法に違反することが多くあります。

律法の与えられた目的


 人に守れない律法はなぜ与えられたのでしょうか。三つの目的があります。
(1) 社会の秩序を保つため: 盗み・殺人・姦淫等が悪である事を知る事によって、社会の秩序は守られています。聖書を知らなくても、神様は、人の心にこのような道徳律法を刻み込んでおられ、社会が腐敗の極みに至らないように、その秩序を維持しておられるのです。

(2) 罪を自覚し、主の救いに頼るため: 人の義務である善を正確に知らせる事で、神様は私たちが自分の行ないで救われようとする思いを捨てて、悔い改めてイエス様の十字架に頼るように求めておられるのです。

(3) 罪赦された者が主に従う道筋として: 罪赦され、主に属する者とされた恵みに応え、少しでも主に喜ばれる生活をするために、律法は信者の生活指針としても与えられています。
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