ウエストミンスター小教理問答の学び 第49〜52問

第49〜52問 第二戒

問49: 第二戒は、どれですか。
答:   第二戒はこれです。
 「あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して千代に至るであろう」。

問50: 第二戒では、何が求められていますか。
答:   第二戒が求めている事は、神が御言葉のうちに指定されたとおりの宗教的礼拝と規定のすべてを、受けいれ、実行し、純正完全に保つことです。

問51: 第二戒では、何が禁じられていますか。
答:   第二戒が禁じている事は、像による神礼拝、または神の御言葉に指定されていないあらゆる他の方法による神礼拝です。

問52: 第二戒に加えられている理由は何ですか。
答:   第二戒に加えられている理由は、神が私たちに君臨する主権者であられること、神が私たちの所有者であられること、神が御自身への礼拝に熱心をもっておられることです。


第一戒との違い


 聖書の十戒は箇条書きで書かれていません。そこで、この箇所を、第一戒(唯一神信仰の命令)の一部だとする理解もあります。この箇所にある偶像崇拝禁止は、他の神々(偶像)を礼拝することの禁止だと理解するのです。
 これに対して小教理問答は、この箇所を正しい神礼拝を命じる第二戒としています。これが正しい理解です。偶像は他の神を礼拝する時だけではなく、聖書の神様を礼拝する時にも用いられました。例えばイスラエルの人々は金の子牛を造って祭をしたとき、それを「主(ヤーウェ=聖書の神の名)の祭」と呼びました(出エジプト記32:5)。偶像崇拝禁止には、このような正しくない仕方でのヤーウェ礼拝の禁止も含まれているのです。
 聖書の神さえ礼拝していればそれでよいのではありません。クリスチャンも、正しい真実の礼拝を神様から求められているのです。

偶像崇拝の罪

(1) 偶像崇拝の誘惑は、見えない神様を見える形にして拝む事で、神との交わりの手掛かりを得たい、という願いにあります。偶像を拝む人々でも、そこにある木や石をそのままで神と信じる人は多くありません。むしろ、偶像を通して見えない神に近づく道を得たい、と考えるのです。

(2) けれども、宇宙万物の創造者であられる至高の神様を、見える被造物に型取るのは、神に対する侮辱です。一人の人を豚に似せて描けば、その人は侮辱を感じるでしょう。見えない神様を見える形に型取ることは、それ以上の侮辱です。偶像崇拝によって、私たちは、神様を敬うようでいて、実は神様を侮辱していることになるのです。

神との交わりの道

(1) 神様との交わりの確実な手掛かりは、人間の考案になる偶像崇拝にはありません。むしろ、神様が語られた御言葉に従って、神様を礼拝する事が、神様と交わる確実な道なのです。

(2) 人同志の交わりでも、一方の側からの押し付けによっては成立しません。まして、神様と交わるには人間の側の押し付けによっては道が開きません。神様の開いて下さった道(御言葉による道、イエス・キリストによる道)が唯一の道なのです。

第二戒に加えられている理由


 問52は、第二戒の「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから…」を解説して、偶像崇拝が禁止される理由を教えています。「ねたむ」とは、存在しない偶像への神の嫉妬のことではなく、擬人法(神の思いを人の思いになぞらえる)であり、礼拝の確立(人との交わりの確立)のための神の燃えるような熱心を表しています。新共同訳は「熱情の神」と翻訳しています。

Copyright (C) 2009 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.