ウエストミンスター小教理問答の学び 第2問

第2問 唯一の基準である聖書

問: 神は、私たちに神の栄光をあらわし、神を喜ぶ道を教えるため、どんな基準を授けてくださいますか。

答: 旧新約聖書にある神の御言葉だけが、わたしたちに神の栄光をあらわし神を喜ぶ道を教える、ただ一つの基準です。


神の言葉の必要性


 人のおもな目的(神の栄光をあらわし、神を喜ぶこと=問1)を達成するためには神様を知らなければなりません。
 しかし、神様が語って下さらなければ、人は神様を知ることはできません。
 それは神様が人間をはるかに越える人格を持つお方(高い知性と感情と意思を持つ方)だからです。
 私たちは世界の事象を観察によって知りますが、人間の事は観察や推測で十分に知ることができません。人には深く尊い人格がありますから、その人自身が語ってくれなければ、その人を十分に知ることはできないのです。
 まして、無限の御人格でいらっしゃる神様を、観察や推測で知ることは無理です。神様が語って下さらなければ、人は神様を知ることは出来ないのです。
真に神様を知るには、人間の推測や悟り(多くの宗教の手段)によってではなく、神様の言葉によるほかないのです。

神の言葉である聖書


 神様は初め、イスラエル民族を選んで、彼らにお告げや夢や預言者など様々な仕方で語り掛けて来られました。そして神様は、それらの内で私たちが神様を知るのに必要なことは、旧約聖書に書き記されるように導かれました。
 やがて、イエス・キリストが来られて、私たちに必要な神様についての知識を余すところなく示して下さいました。このイエス・キリストを通して示された神様についての知識は、神様の導きの元で、新約聖書に書き記されるようになりました。それで、現在では旧約聖書と新約聖書の両方で、人に必要な神様についての知識は十分に示されているのです。

聖書が神の言葉であると知る道


 聖書が神の言葉であることは様々な道筋によって分かります。
(1) 内容の一貫性: 聖書は1000年以上の時間をかけ、100人以上の人々により書かれました。ところが、一つの本として読めるほど、一つの主題(人間の救いについての神のご計画)で一貫し、教えられている事柄に矛盾がありません。この不思議な一貫性は、聖書の真の著者が、神様であることを指し示しています。

(2) 内容のすばらしさ: 心を尽くして読めば、その内容自体が人間を越えた崇高さを持つ神の言葉だと分かります。

(3) 聖霊の証言: 以上は事実ですが、人には聖書を神の言葉と確信する能力がありません。確信は、私たちの心に聖霊なる神様が働いて下さる時に与えられます。求めれば聖霊は与えられます。聖書を検査するのではなく、謙虚に聖霊を求めて祈りつつ読めば、聖書が神の言葉であるとの確信は必ず与えられます。

唯一の基準


 聖書のみが信仰の唯一の基準です。教会の意向や人間の小さな理屈に心を煩わされず、ただ聖書だけから神の御心を知ることが私たちに許されています。
 人間同士でも、相手の言葉が信頼できず、相手を理解するために別の手段に頼らなければならない時、互いの関係は辛く苦しい関係になります。神様の言葉である聖書だけで神様のことを知ることができなければ、人は神様を喜ぶ平安な信頼関係に達することは出来ません。
 神様は、人がそのような十分な信頼に達することができるように、聖書のみを人が神様を正しく知るための唯一の基準として下さったのです。

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