イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。(ヨハネ18:4)
「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(13章1節)。主イエスの最後の1日を、ヨハネによる福音書はこのように書き始めています。主イエスは御自分から十字架に向かわれました。逃げ場がなくて十字架につけられたのではなく、御自身の栄光と受け止めて、正面から向かい合われました。最後の夜を過ごされたゲツセマネの園に、敵たちが迫ります。
「だれを捜しているのか」との主イエスの声は、あなたは正しい捜し方をしているのか、とわたしには聞こえます。正しい関係を持つように、と。それは自分の思惑、利害でのつながりか。十字架で結ばれる命と愛の関係なのか。
かつて「あなたはどこにいるのか」と、神は罪を犯したアダムに呼びかけられました。神が捜してくださいました。今、主イエスはだれを捜しているのか、と呼びかけられます。罪を犯している兵士や祭司長に、いいえ、私たちに。
御自分の血潮をもって買い取られた御自分の民たちを、主イエスはいつも求めておられます。
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