生きることは、時を刻むことでもあります。私たちはどういう時を刻んで生きているのでしょうか。ある人は、「わたしの時間は、わたしのものだから、どう使おうが構わない」と言うでしょう。またある人は、「わたしの将来設計は、わたしが計画を立てて、その実現のために、時間をかけて努力するのだ」と言うでしょう。主イエスがおっしゃった「あなたがたの時はいつも備えられている」とは、まさにそういうことです。自分の思いどおりに時を過ごし、神さえも好きなように動かそうとすることなのです。そこで、イエスは言われた。「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。」(ヨハネ7:6-7)