月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年5月20日(月)

エゼキエル23章 怒りの杯を飲み干す

「主なる神はこう言われる。
姉の杯を、お前は飲まねばならぬ
深くて大きい杯を。
お前は嘲られ、侮られる。
杯は満ち溢れている。」(エゼキエル23:32)

 ここに同じ母親から生まれた二人の姉妹が登場します。「オホラ」はサマリアを首都とした北イスラエル王国、「オホリバ」は、エルサレムを首都とした南ユダ王国のことです。

 オホラは偶像によって身を汚す淫行を行ったため、主は彼女をアッシリアの支配の下に置くことをよしとされました(5〜10節)。他方、オホリバは姉オホラの淫行を見ていたにもかかわらず、それ以上に罪を犯し続けました(11〜17節)。北イスラエルは慕っていたアッシリアに倒されますが、南ユダはこの事実に学ぶことなく、ますます汚れた者となっていきました。このようなことが主に喜ばれるはずがありません。

 これに対する神の怒りは、杯に満ち溢れています。神の民はそれを飲まざるを得ません。それを飲むことは死を意味します。

 神の怒りを恐れる主イエスが、怒りの杯を飲んでくださいました。ご自分の命に代えて、私たちを神の怒りから解放するためです。このお方がおられるから、神の怒りの中にも救いの希望を見ることができます。

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