マタイ9章 新しい喜び、新しい悲しみ
イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。」(マタイ9:15)
神の前で悲しみを表わす断食が敬虔のしるしであった時代に、主イエスと弟子たちは断食をしませんでした。わけを問う人々に、主は婚礼の譬で答えられました。
花婿であるキリストが共にいる間、弟子たちは喜びに包まれて過ごしますので、断食は場違いです。しかし、やがて花婿が取り去られる日、つまり十字架の日には、悲しみを表わして断食することになる、と言うのです。
私たちが味わう喜びと悲しみも同じです。主イエスが共にいてくださることを味わう時、今まで知らなかった大きな喜びに溢れます。しかし、主イエスが遠くに感じられる時、今まで知らなかった悲しみ(信仰の悩み)を味わうのです。
人生の喜びと悲しみが主イエスとの距離によって決まるのであれば、私たちは幸いです。主は世の終わりまで私たちと共におられ(28章20節)、キリストの愛から私たちを引き離すものはないのですから(ロマ8章35節)、主を愛する人生は、最後には喜びに至る人生なのです。
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