アモス8章 御言葉が得られる内に
見よ、その日が来ればと
主なる神は言われる。
わたしは大地に飢えを送る。
それはパンに飢えることでもなく
水に渇くことでもなく
主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。(アモス8:11)
アモスの心中は、苦しかったことでしょう。救いの可能性があれば、厳しい審判の告知をしても、預言者としての慰めがあります。しかし、神が示された「一籠の夏の果物」(1節)の幻によって、その期待は打ち砕かれました。ついに「最期」が来て、すべては手遅れであったことが明白になります。
利潤の追求は、飽くことなき貪欲を満たそうと努力することにつながります。アモスの時代もそうでした。安息日や祭りなどで店を閉めることを嫌がるようになり、秤を誤魔化して利益を得ようとするあくどさを横行させます。ついには同胞を売り飛ばす人身売買にまで至っていました。神の道を外れた行為を積み重ねた果てには、厳しい審判が待っています。神が飢えを送ると、お決めになった以上、神は黙ってしまわれ、答えてくださいません。
御言葉を聞くことができないとは、どれほど苦しいことでしょう。私たちは、御言葉を聞くことができる幸いに感謝し、御言葉が得られる内に、真摯に御旨を尋ねましょう。
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