月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年4月12日(木)

使徒23章 自らの誇りを取り除かれて

ファリサイ派とサドカイ派との間に論争が生じ、最高法院は分裂した。サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派はこのいずれをも認めているからである。(使徒23:7-8)

 ファリサイ派は、死者の復活を信じていました。しかし、彼らもまた、自らの誇りに生きるという点では、復活を認めないサドカイ派と同じでした。主イエスはこう言われました。「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」(マタ16章6節)。

 かつて熱烈なファリサイ派であった使徒パウロは、主と出会って変えられました。「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」(ロマ7章24節)。彼は、罪から離れることができない人間の惨めさを知り、だからこそ、主イエスを救い主として受け入れました。

 復活を信じていても復活の主を必要としないファリサイ派の傲慢を、神は悲しんでおられます。人は、主イエスを信じる信仰によってのみ救われます。主イエスによって罪赦されたことを知らなければ、どれほど自分を誇ってみても、むなしいのです。罪の惨めさのなかにあっても、復活の主の希望に生きる者は、幸いです。

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