月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年8月24日(月)

エゼキエル31章 切り倒される高慢な木

「わたしが、多くの枝で美しく飾ったので神の園エデンのすべての木もうらやんだ。
それゆえ、主なる神はこう言われる。彼の丈は高くされ、その梢を雲の間に伸ばしたので、心は驕り高ぶった。わたしは彼を諸国の民の最も強い者の手に渡す。その者は彼を悪行に応じて扱う。わたしは彼を追放する。」(エゼキエル31:9-11)

 31章は、30章20節で預言した二ヶ月後に与えられたものです。エルサレム陥落との関わりで、ユダが救いを求めたエジプトが、レバノン杉に喩えられています。

 現在はごくわずかしか残っていないこの木は、真っ直ぐに高く伸び、どっしりと大地に根を張ります。周囲のどの国よりも勢力を得、遠くにまで感化を及ぼし、多くの国々に恩恵を与えてきたことが語られています。しかしながら、偉大さが高ぶりを生み出し、その結果、バビロンのネブカドレツァルによって切り倒されてしまうと予告されるのです。

 偉大なこと、美しいこと、強いことそれ自体に罪はありません。でも、それらを与えた神を忘れて、自己を賞賛し始める時、強さは最大の弱点に変わります。高慢は、転落の始まりとなり、自分の足下を掘りくずす結果になるからです。

 エジプトの強さだけでなく、人がうらやむほどの美しさも、裁きの日に空しくされます。この世にあって、頼るべき力や美しさが自らのうちにないとしても、嘆くには及びません。神に依り頼む者こそ、幸いです。

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