イエス・キリストを信じた人々は、ただひとりで信仰を守るわけではありません。神さまは私たちの救いのために、教会を備えて下さいました。洗礼を受け、この教会につらなることによって、私たちは、一生涯、信仰を守り通すことができるのです。
第一に、教会につらなることによって、私たちは、神が私を愛して救いに入れて下さったことを、ゆるぎない事実として確信することができます。教会はキリストの花嫁であり、キリストは教会を愛してそのために十字架にかかられたのだと聖書は教えています(エフェソ5:25)。ですから、この教会につらなることは、キリストの愛の対象の一員とされることなのです。
求道時代に多くの方々が経験することですが、ある時は救われたような気分になり、ある時はまだ救われていないような気分になることがあります。人間は自分自身を把握し切れるものではありません。自分で自分を判断する間は、いつも不確かさがついてまわります。洗礼を受け教会につらなるということは、私たちの側の決心のあらわれでもありますが、教会を通しての神さまの側の判断のあらわれでもあります。イエスさまは弟子たちに向かって、「あなたがたが地上でつなぐことは、天でも(神によっても)皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう」と語られました(マタイ18:18)。教会の行う洗礼式によってその人を救う神の判断があらわされているのです。私たちの自己判断はいつも不確かですが、神さまの判断は不変不動です。この判断に支えられて、私たちは、救いの確信へ進むのです。
第二に、教会につらなることによって、私たちは、具体的な信仰の訓練を受けることができます。週ごとの礼拝や祈祷会、牧師や長老の助言を通して、信仰の危機から守られ、天国に入る日まで信仰を成長させることができます。
私は大の不器用で、大工仕事が大苦手です。のこぎりで小さなものを切る時はよいのですが長いものを切ると、必ず、どちらかに曲がってしまいます。信仰生活も同じことです。短い時はよくても、長い間、ひとりで信仰を守ろうとすれば、必ずひとりよがりや歪みが生じるものです。週ごとの礼拝や祈祷会は、気づかずにいるような小さなずれを、いつも軌道修正させて、私たちを大きな信仰の逸脱から守ってくれるのです。
教会に出席している信徒が、ある日突然に信仰を失ってしまい、教会に来なくなってしまう例は、余り多くありません。むしろ、最初は信仰を捨てるほどの決心ではなく、ただぽつりぽつりと休むうちに、いつの間にか信仰の火が消えてしまう例の方が多いと思います。そのような人は、自分で気づかないうちに、恐るべき決断をしてしまったわけです。
私たちが、信仰を守り通すためには、ゆれ動きやすく捕らえ切ることのできない自分の心と格闘しているだけでは、どうにもなりません。具体的に教会につらなり、具体的な時間に教会に足を運ぶことが、信仰を守る道なのです。
第三に、教会につらなることは、信徒同士の交わりの中で信仰生活を送ることを意味します。人はもともと、人との触れ合いの中で成長して行きます。家庭・学校・地域・職場、それぞれの場での人との触れ合いは、時には悩み悲しみももたらしますが、それを避けて孤独になってしまえば、人としての健全な成長に大きな損失を被ります。信仰者としての健全な成長も、他の信仰者との交わりの中で、成しとげられるのです。教会も罪人の集まりですから、時にはその交わりが悲しみ悩みをもたらすかも知れませんが、それを避けてしまっては、健全な成長は望めないのです。
教会の交わりは、私たちの信仰に大きな励ましを与えます。そこにいるのは、聖人君子ではなく、私と同じように罪深く弱い人間です。
このように弱さを負った方々が、それでも神さまの恵みに支えられて、神と人を愛する生活へと努力し、救いの完成のための信仰の戦いを戦っているのです。初歩の信仰者もベテランの信仰者も、この信仰の姿だけは変わりません。その姿は、必ず、罪と弱さに悩む私たちにとって励ましとなるに違いありません。私たちは教会の交わりに、理想的な人間の集団を求めるべきではなく、共に戦う信仰の戦友を求めるべきなのです。
そのような交わりとして、教会は、だれひとり余計者がいない、すべての人がすべての人を益する集団です。洗礼を受けて、信仰の初歩を歩み出した人々の姿が、どれほど信仰歴の長い信者たちに励ましと慰めを与えるか、はかり知れません。また、老齢のために、すでに具体的奉仕のできなくなった方々が、信仰を固く保ってこの世での信仰生活の最終コースを走られる姿は、それだけで、教会全体の大きな慰め、喜びとなります。教会はキリストの体であり、ひとりびとりは、その体に欠くことのできない貴重な肢体なのです(1コリント12)。
※山中雄一郎著「キリスト教信仰の祝福」小峯書店(1983年1月、現在絶版)
※月刊誌「ふくいんのなみ」1981年1〜12月号にて連載