お元気ですか?ほほえみトークの熊田なみ子です。
私は時々、小さな色紙に言葉を書いてプレゼントすることがあります。その言葉は、聖書が多いのですが、時々私の心に触れる言葉を書くこともあります。出会いの瞬間から忘れられない言葉ってありますね。
その言葉、シスター渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」(幻冬舎)にも載っていることを最近知りました。「一生を終えて残るものは、われわれが集めたものではなく、われわれが与えたものである。(ジェラール・シャンドリー)」。
私がこの言葉に出会ったのは随分昔のこと。「続・氷点」を読んだ時なのです。原罪をテーマにした三浦綾子さんの小説ですが、聖書に出会い、キリスト教会に行くようになった私は心惹かれて読みました。その時からずっと何度もこの言葉を噛みしめています。お部屋に色紙を飾ったときは、その言葉を写してくださった方もいました。
今日は何が与えられるのでしょうか。いのちの時間は、自分で決められませんが、今日もかけがえのない大切な一日です。朝、小鳥の声を耳にすると私の心にメロディが浮かびます。「♪小鳥たちは小さくてもお守りくださるかみさま♪」「きょうも大丈夫!一緒にいてくださる!」。
さて、忘れられない日が今年も来ました。昨日は3月11日。もう東日本大震災から8年です。時は流れますが苦しみ、悲しみは癒えません。被災地からのお便りをきっかけに、「希望のことば」(東北放送)をお届けし、仮設住宅からの方々もお招きして3年間「希望のことばコンサート」を開催しました。魂のテノール歌手、全盲の新垣勉さんの歌声が500名の会場に響き渡りました。実は今年も6月、山下牧師と共に陸前高田に行く予定です。
復興支援を東松島のNPO法人「サクラハウス」も続けています。昨年末久しぶりにお訪ねしました。私の息子もこの支援チームの一員です。あの大震災に駆け付けて、そのまま現地で共に生きる人生を選びました。
私は、被災地からお便りを読ませていただき、大震災を経験された方々のお話は何度も聴いてきていると思っていたのですが、この度「実はそうではなかった!と反省しました。約束をしていたわけではなくまさに突然その出会いが与えられた!ということなのですが、被災者のIさんとお話する機会がありました。
離れてニュースを見ていると、地域に新たな家がどんどん建てられ、8年が過ぎ落ち着いた日々の暮らしが戻っているように思ってしまいます。でも「決してそうではない!」ということ。
Iさんに起こった3月11日の出来事の辛さ、悲しみ、心の傷…家族や、大好きな友だちが自分のそばから急にいなくなってしまったことは癒えないのです。お話をただ聴くだけだったのですが、3月11日がIさんにとっては昨日の出来事のように語られました。次から次へと。死が襲ってくる怖さ、恐ろしさ。おばあちゃんは死んでしまった、幼稚園だった娘はこんなに大きくなったけれど、大好きな友だちは津波にのまれてしまった!何年もたってやっとあの日のことを話すようになったと。
「一生を終えて残るものは何か」をこの日を迎えるたびに思います。賑やかで、晴れやかで、楽しみが満ち溢れることだけが幸せでしょうか?「受けるより与えるほうが幸い」(新約聖書・使徒言行録20章35節)と語られたイエスさまの言葉を思います。今日を生きるあなたと私、共に生きていきましょう。