おはようございます。高知県安芸市にあります芸陽教会の大宮季三です。
さて、日本にはキリスト教を信じている人はどれくらいいるのでしょうか?これは長年言われてきていることなのですが、日本のキリスト教人口は1%に満たないのです。キリスト教関連の教育機関や、福祉施設は決して少なくありませんが、キリスト教に馴染みがない人、教会に一度も行ったことがない人は多くいます。
「キリスト教は、欧米の宗教だ。」、あるいは「自分が育ってきた文化とは随分違う。」と、敬遠してしまうことが少なくないようです。つまり「自分はキリスト教には関係ない」という考えを持ってしまう方が多くいらっしゃるということです。
さて、イエス・キリストの弟子にマタイという人がいます。この人は、聖書の中のマタイによる福音書の著者とされる人物ですが、彼とイエス・キリストとの出会いは唐突で、あっさりと記されています。「イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。」(マタイ9:9) これだけです。しかし、この記述から多くのことを考えることができます。
彼は、税金を取り立てる収税所という場所で働く人物でした。徴税人と呼ばれる彼の仕事は、同じ民族からは嫌われる存在でした。当時のユダヤ人にとって、ここで取り立てられる税金とは、自分たちを支配している人にいわば「巻き上げられる」お金でした。
徴税人というのは本来味方である同じ民族でありながら、敵のために働く「売国奴」であり、神の祝福からはみ出た「罪人の中の罪人」という評価がなされていました。マタイ自身、自分がそのように見られていることは当然わかっているはずです。「自分は神様の祝福の外側にいる存在だ。」「自分には救い主は関係ない。」そんなマタイにイエス・キリストは出会われます。
イエス・キリストがマタイに声をかけたのは彼の職場である収税所です。そこは決して、神と出会うような神聖な場所ではなく、政治、経済、民族、宗教、あらゆる問題が集約されているような場所です。お金を搾取する側とされる側、そして、本来は搾取される側でありながら、搾取する側に立っている徴税人。胸を締め付けられるような人間のあらゆる感情が入り混じる場所とも言えるでしょう。イエス・キリストは、そのようなところでマタイに出会われます。
イエス・キリストは、民族や文化、あらゆる壁を乗り越えるすべての人の救い主です。あなたの置かれている状況がどのようなものであっても、イエス・キリストは入ってくることができ、あなたを救いへと至らせることができます。あなたの感じている壁を、イエス・キリストは壁とは考えておられないのです。実際のイエス・キリストには、今から飛行機に乗ってイスラエルに行ったとしても会うことはできません。しかし十字架にかかり、3日目に復活された後に天に昇られたイエス・キリストは神の霊によって、今も、この場所で生きている私たちに出会ってくださいます。
イエス・キリストとの出会いが、あなたの人生を変えます。今日お近くの教会で、あなたにイエス・キリストとの出会いが与えられることを願っています。