おはようございます。忠海教会の唐見です。
ここ忠海は、5月に入ると一気に活気づきます。4月の間はまだ肌寒い日も多いのですが、5月にはいると肌に感じる空気がやわらかく、暖かくなります。教会のまわりの木々の新緑は目に鮮やかで、明るさが増します。教会のとなりの田んぼに水が張られ、田植えが始まり、そして、それにあわせてどこからともなくカエルがあらわれて大合唱をはじめます。毎年この時期、自然の豊かさ、生命が動き出す感じを味わっています。
まだわが子が小学校の低学年だった頃のことですが、この時期によく子どもたちとカメを捕まえに行きました。車を少し走らせるとカメがたくさんいる沼があって、バケツと網を持ってよく出かけました。
番組をお聞きのみなさんにどれほど共感していただけるかわかりませんが、カメを捕まえるのは結構楽しいんです。子どもたちと一緒に、そしてある意味では子どもたち以上に、わたし自身も楽しみました。あるときは50センチを超える大きさのカメを捕まえたこともあります。捕まえたカメは家に持って帰り、子どもたちといっしょにしばらく飼ったあと、近くの川に逃がしました。時折、あのとき捕まえたと思われるカメを川でみかけます。
そのとき体験的に知ったことのひとつは、カメは決してのろまではない、ということでした。カメといえば、童謡で歌われるように、のろまな動物というイメージがあります。そして確かに陸地にいるカメは速くはありません。近所の、カメが多くいるスポットでは、道の真ん中を堂々と歩くカメを見かけることがあるのですが、そういうときのカメは確かにのろまです。
しかし、水の中にいるカメはそうではありません。陸の上のカメとはまったく違って、水中のカメはとてもスピーディーです。実際にカメとりをした方はお分かりかと思いますが、といっても、どれくらいの方が実際にカメとりをなさったかはわかりませんけれども、水中のカメを捕まえるのはそれほど容易ではありません。網で追っても簡単には捕まらないんですね。
わたしは簡単に捕まらないカメを網で追いながら、ああ、カメはのろまではないんだなと感じました。この体験はわたしの中ではちょっとした衝撃でした。おおげさにいえば、それまで信じていたことが崩れ去ってしまったという感覚です。
そして、同じようなことが実はたくさんあるんだろうなとも思いました。知っていると思っていること、わかっていると考えていることが、実際はそうではないということ。単なる思い込みや間違った知識でまわりの人や物事を判断していることが、自分が思っている以上に多くあるんだろうなということ…。
そのように思い巡らしていく中で、ローマの信徒への手紙の一節が思い浮かびました。「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。」(11:33)
使徒パウロの告白がすとんと腑に落ちたような瞬間でした。
一方で、わたしはこのように思うのです。自分は牧師で毎週礼拝で説教をしている。また毎朝チャペルでメッセージをしている。当然、そのために聖書を読み、必要な書物も読んでいる。でも、どれほど神さまのことがわかっているんだろうかと。実際、わたしの知っていることはごくわずかで、しかもそこに思い込みや間違いが含まれているのだろう、と。
しかし、その一方で、わたしはこうも思うのです。そんなわたしを神さまは説教者としてお立てくださっていると。この足りないわたしを通して、神さまはご自身のことを伝えようとなさっているということを。
そのように思いながら、今朝もまた、みなさんにメッセージをしています。