おはようございます。田無教会牧師の中山仰です。
イエス・キリストは神ではなく至高の人間であるとか、聖霊も人格を持たない神秘的なエネルギーであるという考えなら一般的に受け入れやすいと思います。ところがキリスト教会は古来より、聖書に示されている方は父子聖霊なる三つにいまして一人の神であると主張し続けてきました。
父と子と聖霊が三つで一人でしかないという考えの方が人間の知能として分かりにくいでしょう。私は霊について知るためには、霊なる人格を持たれた方の導きがなければ不可能だと思っています。
父なる神が天地万物とその中に生きる動物を創造されました。ところが初めの人間アダムとエバは、食べてはいけないと命じられた木の実に手を出した結果、神の前に罪を犯しました。罪人となった人間は自分の力で神に近づくことはできません。父なる神はこの状況を解決するために、独り子イエス・キリストをこの世に遣わされ、私たちの罪を身代わりとして十字架につけられました。しかし主イエスは十字架から3日目に復活され、十字架を自分の罪の身代わりとして信じる者に赦しをもたらされます。
さらに復活後、多くの人たちに現れ天に昇られました。その時去って行くけれど心配するな、約束の助け主を遣わすと約束され、それが実現したのがペンテコステと呼ばれる日です。その日に世界に散らばっていたユダヤ人が、お祭りのためエルサレムに集まっていました。その時、聖霊がくだり弟子たちはみな預言したところに教会が始まりました。それゆえ聖霊に関することは、主の日の礼拝の中で大きな祝福としてもたらされます。
霊の方を知るためには、目に見えませんから、礼拝に出る以外に分かりません。洗礼は礼拝に出続けて聖霊なる神に導かれてはじめて、受けることができます。