ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
聖書は、神様が人間を創造されたと教えます。また、神様との対話の中で生きるように造られたと教えます。それで、他の動物と違って人格が与えられているのです。あるいは知性、感情、意志があるのです。ですから、どの時代のどの民族にも、およそ人間であるかぎり宗教があります。人間でなければ宗教はありません。神様がそのように人間を造られたからです。
ところが、人間の罪のゆえにその関係が壊れてしまいました。神様との関係が壊れることは、人間らしくなくなってしまうことです。逆に言うと、神様のもとに立ち帰り、神様を信じて、神様と共に歩むのは、人間らしいことなのです。人間としてきわめて自然なことなのです。むしろ、神様から離れてしまっている方が、人間としては不自然だということになります。
一見すると、キリスト教を信じるというのは、何か特別のように見えるかもしれません。けれども、聖書によれば、むしろそれは本来の人間のあり方に立ち帰ったことになります。本来の人間の姿だということになります。そのようにして、神様と共に歩むならば、色々な点でさらに人間として健全になっていきます。少しずつかもしれませんが。
それが聖書の神を信じ、キリストを信じる者の歩みです。神様はいつも、失われた人々に、立ち帰るように、本来のあり方に戻るようにと、呼びかけているのです。