ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
ある牧師が書いた本の中に、「無造作に信じなさい」という言い方が出てきました。どうやらその牧師は、教会に来ている人から「まだ、キリストに会っていない、救われていない。」と訴えられるらしいのです。それに対してその牧師が言うには、何か特別の体験を求めているからで、そういう発想は間違っていると。それで「無造作に信じなさい」と言うわけです。
私はこのことがよく分かります。私も教会に行き始めたころ、同じようなことを考えていたからです。何か特別の経験をして、イエス様が分かるのではないかと思っていたからです。しかし、本当にイエス様が共にいてくださると分かったのは、聖書の言葉が本当なのだと分かったときでした。それは逆に言うと、それまでは聖書の言葉を信じていると言いつつも、自分の現実のこととして受け入れていなかったことになります。
「無造作に信じなさい」というのを言い換えると「御言葉を自分のこととして、そのまま信じなさい。」というふうになるでしょうか。たとえば、イエス様の言葉として「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と聖書にあるので、そのまま信じることです。どうもそう思えない、イエス様が共にいると感じない、それは何か特別な体験を求めていることなのではないでしょうか。
「無造作に信じなさい」「御言葉を自分のこととして、そのまま信じなさい。」むしろそこから、新しいことが始まるのです。