おはようございます。ご機嫌いかがでしょうか。新所沢教会の牧師、長田と申します。
今週、このあさのことばでは、罪ということについて考えてまいりたいと思っています。
以前、「教会に行くと『あなたは罪人です』と言われるけれども、私はそんなに悪いことはしていないです。」と言われたことがあります。もちろん、全く何も悪いことをしたことがないなどとは言いませんが、改めて「あなたは罪がある」と言われるほどのことをした覚えはない。そう思うのは当然のことでしょう。けれども、聖書がいう「罪」とは、法律に反したとか、特別に悪いことをしたという問題ではありません。
聖書のいう罪という言葉は、もともと「まとはずれ」という意味の言葉です。本来、どこかに当たるべきものが別のところに向かってしまっている、的を外してしまっている。それが「的外れ」、すなわち罪なのです。
では、私たちは本来どこに向かっていくべきなのでしょう。人は、神様の願っておられるところ、神様が求めておられるところに向かっていくはずなのです。しかし実際には、私たちは神様が願っているように生きることができていません。できていないことをきちんと認める。自分が罪を持っている。「まとはずれ」な歩みをしているということを認める。まずはそこから始めることが大切なのです。
聖書をお読みします。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)