ご機嫌いかがですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
「こころ」というのは実に不思議な存在です。現代の科学的な目からみれば、「こころ」は脳の働きと深く関係しています。しかし、わたしの知る限り、洋の東西を問わず、たいていの言語では、日本語の「こころ」に相当する言葉が指し示す体の部位は、頭の内側ではなく胸の内側にあります。
「心が痛む」というときのしぐさは、胸に手を当てます。「頭が痛い」のと「心が痛む」のとでは、まったく違います。「こころ」は動かされますが、「脳」や「頭」が動かされるという感覚はありません。人間の感性では、「頭」と「こころ」は全く別物と思われています。頭といえば知性が宿る場所と思われがちです。たとえば、知恵を蓄えるのはどこでしょう。これもたいていの国の人にとって、知恵が蓄えられているのは「頭」です。
けれども、聖書が書かれている言語であるヘブライ語には「心に知恵のある者」という不思議な表現が出てきます(出エジプト36:1他)。ソロモン王も神から「知恵に満ちた賢明な心」を与えられた人でした(列王記上3:12)。
知恵は頭で管理するものではなく、心で管理するときに、ほんとうの知恵となるのだと気づかされました。
今日の聖書の言葉…「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」詩編90編12節