いかがおすごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
幸福感と満足感は、相補う言葉です。満足感はないのに幸福感に満ちている人はほとんどいません。けれども、満足感というのは、自分の思いに支配されがちです。たとえば、食べるものに事欠かず、住む家も、一緒に暮らす家族もいて、健康にもお金にも恵まれていながら、それでも何か物足りない思いを抱くという人もいます。それとは逆に、つつましい生活を送りながら、なお人助けのために自分の時間や持ち物を使っても、満足感に満たされている人もいます。
新約聖書に登場するパウロという人は、手紙の中でこう書いています。
「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。」
パウロは自分の置かれた境遇に満足する秘訣をどのように学んだのでしょう。何よりもその大きな前提には、天地万物をお造りになり自分をも造ってくださった神が、自分を支えてくださっているという信仰があります。そう信じると同時に、自分の身に起こるすべてのことを、神の愛と深い思慮から出たものであると確信していたからです。その確信をもって自分自身の人生を振り返るとき、不足を不足ではなく、恵みに溢れていると、感謝をもって受け取れるようになるのです。
今日の聖書の言葉…「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。」フィリピの信徒への手紙4章11節