おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
知っている、ということは、とても大切です。しかしそれよりも、知らないことがまだたくさんある、ということを知っている方が、もっと大切です。知らないということを知っている人ほど、もっと知りたいと思う気持ちに動かされます。
けれども、そうして広がる知識も、ただそれだけでは、役に立ちません。それらの知識がどう組み合わされ、どう関連付けられるかによって、実際の生活に役立つ知識となります。そうした、状況に応じて知識を適切に処理していく能力のことを、一般に知恵と呼んでいます。この知恵があって初めて知識は役に立つものとなります。
けれども、この知恵がおかしな働き方をする時に、知識は人間に役立つものとなるどころか、かえって人間にとって害を及ぼすものとなります。その知恵が何によってコントロールされるのか、そこが大切なポイントです。
聖書は、神を畏れることが知恵の初めであると教えています。まことの神を畏れなければ、知恵は暴走する危険があります。身近な例をあげれば、詐欺を働く人たちがそうでしょう。詐欺師には知識も知恵もありますが、それをコントロールする神への畏れが欠けています。すべての人の知恵が神を畏れる思いでコントロールされるとき、その知識はもっとも役立つものとなるのです。
今日の聖書の言葉…「主を畏れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは分別の初め。」箴言9章10節