いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
聖書の中には、イエスが弟子たちを派遣する様子が描かれたところがいくつかありますが、今日はその中の「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」という言葉から、命について考えます。
私たちは普段、命といいますと、心臓が動いていること、息をしていること、脳波があること、といった意味で考えています。しかし、おそらく聖書には、これとは別の意味の命があります。旧約聖書の創世記には、人の最初の罪の様子が描かれていました。それは神の命令に背くことでしたが、その際、食べると必ず死ぬはずだった木の実を食べても、アダムとエバは少なくとも、心臓が動いている、という意味では死にませんでした。
そこで言われていた死とは、肉体の死とは別の意味もあったのかもしれません。あの出来事の後で人間は大きく変わりました。人は神を避けるようになりました。人は自分が全く無力であることを知りました。神から与えられた仕事を失いました。そして生きるために苦しむ者となりました。
聖書は、神と断絶してしまった苦しい人生もまた死と呼んでいるのかも知れません。しかし、命を与えるイエスは、弟子たちに向かって、父が自分にしたのと同じように、あなたたちを、出発させる、といったのでした。父なる神がイエスを送り出し、豊かな愛で弟子たちを生きるものとしたように、あなたたちも力強く生きる命をほかの人たちへと伝えるようになる、と弟子たちに言われたのです。