川越教会の木村恭子です。
聖書は、死ぬこと、『死』は罪の刑罰、アダムが神に背いたことで人類に与えられたものだと教えています。
神はアダムに言われました。「お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。…お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」(創世記3:17,19)
しかし、新約聖書には、それを乗り越える道が示されています。
「死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」コリントの信徒への手紙一 15章21節、22節です。
『死』を超えて生かされる希望、それは、キリストによって与えられます。キリストを信じることで与えられる希望です。キリストを信じて、地上でキリストと共に、キリストに従って生きること。聖書は、それが死を超えて生きる道だと教えています。
イエスは言われました。
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(ヨハネ1:25)