川越教会の木村恭子です。
日本人の多くは、死にまつわること、『死』をタブー視して、あまり語ろうとしません。分からないこと、嫌なことは見たくない、触れたくない、考えたくない、ということでしょうか。ですが、実際、死んだ後私たちはどうなるのでしょう?
肉体は火葬されて灰になり、それで終わりでしょうか。何もなかったことになるのでしょうか?
イエスが、十字架におかかりになった時、隣にいた犯罪人の一人にこんな言葉をかけておられます。
「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」(ルカ23:43)
この言葉からわかることがいくつかあります。
一つは、体が死んでもそれで終わりではない、ということ。また、イエスを信じて死ぬ人は、死んだ後もイエスと一緒にいることができる、ということ。そして、その場所は「楽園」という言葉で表現されています。
これが本当なら、『死』も悪くない。というより『死』を超えてさらに希望がある、ということではないでしょうか?
『死』をタブー視せず、目をそらさないで、自分もいつか地上生涯の死を迎える。そのことを意識しながら生きる。そのための備えをしながら生きる。そうすることで、今を充実させることができるとも思うのです。