川越教会の木村恭子です。
以前、南アフリカ共和国を訪問する機会がありました。そこである牧師からこんな話を聞きました。南アフリカの子どもたちは「ままごと」ではなく「お葬式ごっこ」をして遊びます。彼らにとって『死』は日常なのです。
ある教会にメンバーが30名の聖歌隊がありました。若者を中心によく訓練された聖歌隊でした。ところが、ある日の礼拝でこの聖歌隊メンバーは5人でした。理由を尋ねたところ、「先生が彼らの葬儀をして下さいました。」という答えが返ってきたそうです。HIV、エイズの蔓延のために若者の寿命が短いのです。これほどまで『死』が日常になっている社会、『死』と隣り合わせの彼らの人生は、どんなだろうかと思いました。
一方で、南アフリカ共和国のキリスト教人口は国民の8割と言われています。彼らは、過酷な生活環境の中で、毎日、死を意識して生きています。でも、それだからなおのこと、今だけではなく永遠までの視点で、神の救いを見据えて生きる人が多いのだと思います。人生の長さだけで、人間の幸福は計れないということです。
イエスは言われました。
「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4:14)