ご機嫌いかがですか。牧師の豊川修司です。
現実の教会をみると、教派の違いは別にしても、豊かな教会と苦労している教会があるようです。教会の考えの違いはありますが、私には、苦労している教会を何とか助けたいという思いが起きます。
また、教会の中にも、困難な人は沢山おられます。このような状況を聞いたときに、困難な教会、困難な信徒を助け、支援する思いが湧き出るといいなあと思います。
聖書はいち早く、この思いを持つことを勧めています。コリントの信徒への手紙二 8章14節に「あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。多く集めた者も、余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかった」と書いてあります。
聖書は豊かさを「ゆとり」と呼び、困難な状況を「欠乏」と呼んでいます。ゆとりのある教会や信仰者が、欠乏を感じる教会や信仰者を補うとすれば、一方がゆとりを楽しみ、一方が欠乏を強いられたりすることはありません。
まさにキリストの下での平等が教会、信仰者に適用されるのです。もし現実に「ゆとり」と「欠乏」の教会をみたら、互いに助け合う隣人愛を実践して欲しいと願っています。なぜなら、わたしたちは貧しかったにも関わらず、今はキリストにあって豊かにされているからです。