ご機嫌いかがですか。牧師の豊川修司です。
突然ですが、教会の存在目的は何でしょうか。それは主イエスを信じて洗礼者が起こされることです。聖書の時代、教会には勢いがあり、洗礼者が多く与えられました。
使徒言行録を読みますと、伝道の勢いは止まりません。伝道者パウロは第一次伝道旅行に続いて、第二次伝道旅行を始めた時に、アジア州で御言葉を語ることを禁じられたので、マケドニア州に伝道の活路を見出しました。
使徒言行録16章9節「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言ってパウロに願った。」という御言葉があります。パウロは、自分がマケドニアで福音を伝えるようにと神が召されたのだと確信したのです。聖書の時代も今の時代も共通している点は、どちらも主イエスを求めて、叫んでいる人たちがいるということです。
牧師がいない教会が増えていく中で、叫びを聞いて御言葉を語る者が増えることを願っています。
使徒言行録18章9節に、「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
もっともっと洗礼者が起こされるように、あなたの知人、友人を教会へ導きましょう。