いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
エフェソの信徒への手紙5章8節では、私たちは「以前には暗闇でした」と書かれています。神がすべてのものをお造りになられた時、最初にお造りになったのは光でした。そして、人となられた神キリストも光である、とも言われます。そこにおいて私たちのことが暗闇であると言われるということは、私たちが神に背く者であるということでしょう。
しかし、エフェソの信徒への手紙は、続けて、私たちは「今は主に結ばれて、光となっています」と記します。私たち自身が光を発しているのではありません。光であるキリストに結ばれているから、私たちも光なのです。
自分が光である、と言われても、私たちにはピンとこないかもしれません。しかし、そもそも、神様がすべてのものをお造りになられた時、最初にお造りになられたのは光ですが、それは太陽の光ではないのです。もちろん、電気の光でもありません。私たちの目には見えない神の光です。私たちにはそれは感じませんが、それが神の現実なのです。そして今や、私たちが感じようと感じまいと、神の目には事実、私たちは光なのです。
その私たちに改めて「光の子として歩みなさい」と言われています。光の子でなくならないようにしなさいということです。光の子として、光の中を歩みつづけていきましょう。