いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
神様が天地をお造りになられたことが創世記の1章に描かれています。神様が最初にお造りになられたものは光でした。神様は最初に「光あれ」とおっしゃって、光をお造りになられたのです。光を造るに当たって、何か材料があったわけではありません。ただ、その一言で、その通り、光が造られたのです。
神様が最初に「光あれ」とおっしゃった時、そこにはまだ何も造られていなかったわけですから、その言葉を聞く人は誰もいませんでした。ですのでこの言葉は、誰かに聞かせる言葉ではありません。そして、神様の言葉はその通りに実現したのです。私たちは人に聞かせようとして、時として空しい言葉を語りますが、神様の言葉はそうではないということです。
この時造られた光は何の光だったのでしょうか。太陽が造られるのはそれよりも後のことです。ですのでこの光は、目には見えない、神の光であるということになります。神様は、とにかくまずこの世に光を与えようとお考えになったのです。この世は、神様の光なくしては暗闇であり、それを何とかしたいというのが神様のお考えなのです。
ですから、神が人となってこの世に来てくださったイエス様のことが、光であると言われます。そして、私たちに対しては、神の子イエス様に結ばれて「光の子として歩みなさい」(エフェソ5:8)と語られるのです。