いかがお過ごしですか。船橋高根教会の牧師の小峯明です。
この世界には終わりがあることをイエス様は教えておられます。その時がいつであるかは分かりません。しかし神様は、罪で汚れたこの世界をもう一度新しくするために、イエス様を終わりの時に遣わされます。イエス様が栄光の座に着かれて最後の審判をなさいます。
その姿は、羊飼いが羊と山羊を分けるように、すべての国民をより分け、羊を右に山羊を左に置かれます。そして右側に置かれた人々は、祝福を受けて新しく完成された国を受け継ぐ者とされます。反対に、左側にいる人々は、裁きをくだされ、永遠の火に入れと言われます。
右と左を分ける決め手は何でしょうか。
祝福された人々にイエス様は言われます。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」(マタイ24:35-36)
しかし、そこで祝福された人々は、「主よ、いつ、そのような奉仕をしたでしょうか。」(同24:37)と答えています。いつ、わたしたちは飢えておられるイエス様に食べ物を差し上げ、飲み物を差し上げたでしょうか。彼らは、自分たちがしてきた親切や愛の働きを覚えていませんでした。ただイエス様を愛して、喜んで従って生きただけです。
イエス様は、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(同24:40)と語り、彼らの愛と信仰の一致を評価されました。
信じて生きる者は裁きを恐れる必要はありません。神を愛し、隣人を愛する。ただそれだけで、わたしたちはイエス様に褒めていただけるのです。