おはようございます。坂井孝宏と申します。クリスチャンに独特の言葉遣いを天国人のボキャブラリーとして紹介していますが、今日取り上げたいのは「御心ならば」という言葉遣いです。
これは、お祈りをする時に用いられるんですね。「御心ならば、この願いをかなえてください」という風に祈るんです。初めて聞いた時は、何と奥ゆかしいことかっていう風に思いました。御心というのは、すなわち神様のお考え、神様の思いにかなっているなら、というそういう感覚で、これは以前の私にはまったく無いものでした。
クリスチャンじゃなくても、お祈りということはなさると思います。何に対して祈っているのかなんてあんまり考えなくって、何となく神様的なものにむかって、自分の願いをかなえてほしいと願うんですね。私自身もそういう風にして、家の神棚に向かって祈っていたこともあります。
だけどそれはあくまでも、自分中心の願いです。それをかなえてほしいという一辺倒です。それがかなえば、神様はいると信じる。かなわないんだったら、やっぱり神も仏もないって馬鹿にする。そういう考えしかもてないものでした。
だけど、教会でなされている祈りっていうのは、それとは全然違っていたんです。これは、イエス様の祈りにならうものでもあります。イエス様は十字架にかけられる前の夜に、その苦しみに耐えかねて、ゆるされるなら十字架の死を免れさせてくださいと、神に願われました。救い主として、すべての罪人の身代わりとなって死ぬという使命から、逃れたいと願われたんです。
しかし、「わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」(ルカ22:42)と、こういう風に祈られました。こういう感覚が、私には非常に衝撃的だったんです。