いかがお過ごしでしょうか。せんげん台教会牧師の川栄智章です。
マタイによる福音書21章7節には、イエスさまが子ろばに乗りエルサレムに入城されたと書かれています。その目的は、決して聖地巡礼の旅を手軽にするためではありませんでした。巡礼者の群れがイエスさまに期待を抱き、「ダビデの子、メシア」と歓呼するその喜びに、堂々とお応えするためであり、そして御自身がイスラエルの王であることをお認めになるためでした。
しかしろばは何の装飾もなく、ただ弟子たちの服が鞍として敷かれているだけです。なぜ、イエスさまは、白馬に乗って勝利の戦士として入城されなかったのでしょうか。大変、理解に苦しむ所です。
ところが、この不思議なエルサレム入城にこそ、神の国の本質が隠されていました。つまり、ダビデの子、メシアによってもたらされる神の国とは、王が罪人に対して奴隷として仕え、犠牲となり、しかも十字架の死にまで神の御心に従った柔和な僕によってもたらされる国だったのです。
その国は、十字架による罪の赦しであり、神との和解であり、神の平和と安息の成就だったのです。