いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
今回はシリーズで「欺き」について考えています。欺きとは「いかにも本当らしく見せかけて、聞く相手・見る相手・接する相手に、本当ではないのに本当だと思わせる」ことです。偽善は振る舞いによる欺きであり、偽証・ウソは言葉による欺きです。
では、欺く相手はいったい誰でしょうか。それはふつう「他人」だと考えがちですが、自分自身を欺くことも多いのです。今日は「自分を欺く」ことについて考えます。
私たちは自分自身を何と知らないのでしょうか。「自分のことは自分がよく知っている」というのは誤りです。最も身近なはずの自分の顔でさえ、他人は知っていても自分は直接知りません。自分の内面はもっと自分に近いはずですが、他人から指摘されて初めて、自分の性格に気づくものです。
いや、「知らない」というのは不正確です。現実の自分から目を逸らす、特にイヤな所を見ないようにする、他人の中ならごく小さな欠けでもはっきり見えるのに、自分の中となると大きな欠けでも見えないのが私たちです。むしろ見ないようにごまかす、まさに自分を欺くのです。
なぜでしょうか。自分の心が美しいなら正視するでしょう。醜いから見たくないのです。ありのままを見るのが耐えられないからです。
しかし、これに気づく時天国の門を近くに見ています。