綱島教会の牧師、小宮山裕一です。
信仰とはどのようなものでしょうか。何か良い例えはないかなぁとよく考えることがあります。私はある時、信仰とはバンジージャンプのようなものではないかと思うようになりました。
皆様もテレビなどでごらんになったことがおありでしょう。ゴムのひもを足に着けながら、橋の上から川に向かって飛び込むアクティビティのことです。スタンバイの時はなんとも言えない緊張感がありますが、飛び降りるとなんともいえない爽快感があります。
これと信仰がどのように結びつくのでしょうか。信仰とは神の愛を知ることです。そしてパウロという人は、神の愛を4つの点で描いています。
「あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。」
新約聖書エフェソの信徒への手紙3章18節19節の御言葉です。
この中で、キリストの愛に深さがあると言っていることに注目したいのです。深さは、その中に入ることでしか、わかりません。バンジージャンプで飛ぶことによって、その深さがわかるように、キリストの愛もその中に入って深さがわかるのです。
ですから、キリストの愛を知るには、このお方の懐に飛び込むのが一番です。その時に、私達に注がれている神の愛を、私達は知るのです。私達が豊かに生きる道が、ここにはあります。