おはようございます。綱島教会の牧師、小宮山裕一です。
新約聖書に福音書という書物があります。この書物はイエス・キリストのお働きについて語るものです。
キリストは救い主としてお働きを始めた直後に、荒れ野に向かいました。その荒れ野において、イエスは誘惑を受けられたと聖書は語ります。そして、その荒れ野にはキリストを苦しめる野獣と、キリストを助ける天使がいた、と言われています。なんとも不思議な場面ですが、荒れ野の誘惑と呼ばれ、聖書の中でも比較的に有名な箇所です。
なぜイエスは荒れ野に向かったのでしょうか。1つ言えるのは、荒れ野とは人々が神と出会う場所であるということです。イエスが生まれる前、旧約聖書には荒れ野をさまよう人々が登場します。荒れ野は何もないところですから、神に頼るしかありません。荒れ野を歩く中で、神の取り扱いを受けるのです。
ところで、荒れ野という言葉は聖書の言葉だと、自然だけではなく、人に使う言葉です。これはとても面白い。人も荒れ野になる。私達の生活においても、いや、私達の中にも荒れ野があるのではないかと思います。周りに頼るべきものがない、孤独や困難。その時、私達は荒れ野をさまよっているといえるのです。
そして、覚えたいのは、私達が荒れ野をさまよう、その荒れ野はイエスが先にたって歩まれた荒れ野です。キリストは私達の苦しみに先立ち、苦しみを受けられ、打ち勝たれたお方です。