綱島教会の牧師、小宮山裕一です。今日は一つの詩を皆様に紹介します。
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。(萩原朔太郎著『旅上』より)
寒い日が続いています。春の訪れが待ち遠しい。春になったら旅に出たい。でもそう気軽に遠くに行くことはできません。冒頭にお読みした萩原朔太郎の詩はそのような思いを読み上げたものです。
フランスは遠い。でも、せめて新しい背広を着ることで、心が軽くなる。何か新しいものを羽織るというのは気分の良いものです。新品のジャケットを着るだけで、仕事に向かう足取りも不思議と軽くなるものです。
私たちが、キリストを信じる時に、心が軽くなる。それはどうしてか。朔太郎がこの詩の中で言っているように、私たちは新しい着物を着るのです。その着物とは背広ではありません。ワンピースでもコートでもない。それはキリストを着るのだと聖書は言うのです。
イエス・キリスト。私たちのために死んで復活なさった、愛の塊のようなお方です。いや、愛、そのものだと言っても良い。そのお方を私達は着る。このお方を身にまとう。それは、私達が新しい生き方に向かうということです。神と共に生きる道を歩くということなのです。
心を軽くしたいとき、どうぞ、このお方を信じていただきたいと思います。そして、今日のお話についてより詳しく聞きたければ、新約聖書のガラテヤの信徒への手紙3章をお読みください。もっとよく知りたければ、どうぞお近くの教会へ。