ご機嫌いかがでしょうか。南越谷コイノニア教会の黒川豪です。
イエス・キリストが「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける」と言いました。これはどういう意味でしょうか。
「情けは人の為ならず」という諺をわたしたちの多くが聞いたことがあると思います。その諺の意味は、「情けを人にかけておけば、巡りに巡って自分によい報いが来る。」という意味です。その諺の「情け」は、結局巡り巡って自分に戻って来るのだから、という打算の気持ちがどこかに働いています。
けれども、イエス・キリストがお語りになる「憐れみ深い人」とは、神とキリストから受けた憐れみによって、すべての罪を赦され、周りの人を打算を抜きにして愛する人のことです。
そのような人のことを、イエス・キリストは「幸いである!」と宣言してくださいます。なぜなら、イエス・キリストの十字架の愛、深い憐れみを受けて、今度は周りの人々を愛するわたしたちの愛の行為を、イエス・キリストは御自身に対する愛の行為と見なし、イエス・キリストがわたしたちのことを憐れんでくださるからです。ですから、「憐れみ深い人々は、幸い」であります。