いかがお過ごしですか。北中山教会の坂本です。
イエス様の弟子のヨハネは漁師でした。「雷の子」というあだ名をつけられるほどですから、短気で荒々しい性質を持っていたのでしょう。彼は後に、自分のことを「イエスの愛しておられた弟子」(ヨハネ21:20)と言っていますが、これは、自分のような欠点だらけの者が愛されたのだ!という心からの感謝の言葉なのでしょう。
さてヨハネは、ヨハネによる福音書、ヨハネの手紙、そして新約聖書の一番最後の黙示録の著者ですが、特に手紙の中には「愛」という文字が溢れています。「雷の子」とあだ名された彼からは、ちょっと想像がつきません。
しかし、ヨハネ自身の中に愛があったのではありません。ヨハネを真実に愛して下さった神の愛を受けて初めて彼は、愛というものが分かったのです。ヨハネ自身が体験し、記録した神の愛は、私たちにも惜しみなく注がれているのです。
聖書の言葉
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに、愛があります。」ヨハネの手紙一 4章10節