おはようございます。香川県坂出市で牧師を務める、吉田崇です。
日本では8月15日に終戦記念日を迎えます。日本はおよそ70年前に、アジアの近隣諸国やアメリカなどと戦争をしてしまい、多くの犠牲者を出してしまいました。犠牲となった方々やそのご遺族に思いをはせるなら、悲惨な戦争は二度と起こしてはいけないと思わされます。しかし現実には、今に至るまで戦争があちらこちらで起きてしまっています。
戦争が起きてしまう原因の一つとして、話し合いによる解決を目指してもなかなかうまくいかない、ということがあるのではないでしょうか。話し合っても相手との溝が埋まらない、話がいいようにまとまらない。そうなると、力ずくで解決するしかないと暴力なり、戦争なりに訴えることを考えてしまうのではないでしょうか。
1932年(昭和7年)5月15日、戦争の拡大を避けようとしていた犬養毅首相のもとに軍の若手将校が押しかけました。犬養首相は「話せばわかる。」と話し合いを願ったのですが、話し合っても無駄と思い込んだ若手将校は「問答無用。」と叫んで銃を発射し、犬養首相を暗殺してしまったのです。
人間同士が仲良くやれないで衝突してしまうとき、人の心には敵意が生まれています。相手が自分に合わせてくれない、自分にとって邪魔になるから自分の前から追い払わないといけない、という敵対心です。これは自分中心の罪から出てきてしまうものです。お互いに一歩ずつでも相手に歩み寄るなら、話し合い、心通わせる可能性も開けるのに、自分からそれを遠ざけてしまって「話し合っても無駄。」と一人勝手に憤ってしまうのです。
イエス・キリストは、平和を遠ざけてしまう人間の身勝手な罪の心を十字架によって砕いてくださり、人々を平和へと導くことがおできになるのです。
聖書のエフェソの信徒への手紙にこう書かれています。
「しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(2:13-16)
人々が願いながらもなかなか実現しない平和、それを実現させてくださるのは、救い主イエス・キリストをおいて他にないと信じます。